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日本性愛史・縄文時代
category - 性愛史
2019/
03/
04日本性愛史
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日本性愛史
縄文時代(約1万5000年前~約2300年前)
○想像の域を出ない…。
当然のことながら文字資料が残っていないため、この時代の性事情は発掘された遺物などから想像をしてみる以外に方法はない。
しかし、これより前の旧石器時代と違い、縄文に入るとずっと遺跡や出土遺物は増えるため、手掛りとなるようなものはある程度存在する。
○人類存亡をかけた子作り
しかしながら、平均寿命が約14~15歳、長命でも31歳ぐらい(※ただし60代の人骨も出土している)という短さであり、乳幼児の生存率も極度に低かった当時、〝子作り〟はまさに命を次代へ繋ぐために死活問題であったことだろう。
また、集団での狩りや漁、原始的農業(栗やドングリなどの半栽培)に必要な労働力を得るためにも重要であったことは想像に難くない。
ある研究者によれば、この平均寿命からして2年に1回のハイペースで出産していないと、縄文人は滅亡する極めて危機的な状況であったという。
ゆえに性行為に対するマイナスイメージなどまるでなく、むしろ奨励されるべき、最重要な行いとして捉えられていたものと思われる。
○神聖な性器
土偶(八戸市風張1遺跡出土)
また、子供を生み出す男性器や女性器は神聖なものとして認識されていたに違いない。
もしも、この時代に「性行為は猥褻で忌むべきものだ」などと言った日には、住んでいる村内で大炎上していたことであろう。
それは、全国各地の遺跡で出土している、子宝や安産を祈る祭祀の道具だったと思われる土偶や石棒などから見ても明らかだ。
○土偶
土偶は言わずと知れた縄文時代の人型土製品であるが、その多くが女性を象ったものであり、乳房や女性器、正中線(妊娠線)、妊娠で膨らんだ腹部を表現したものがほとんどで、生殖や出産との関わりは極めて強い。
○石棒
石棒(新潟県上越市籠峰遺跡出土)
石棒(東京都国立市緑川東遺跡出土)
他方、石棒の方は勃起した男性器を抽象化した石造品であり、出土した状態からして、どうやら祭壇に立てて祭りを行ったようであるが、それは後の世の「オンマラ様」や「金精様」のような男根の姿をした神を髣髴とさせ、やはり同様に多産を祈った呪物なのであろう。
あるいは〝多産〟からの連想で、狩りや漁の獲物、採集や半栽培の産物が豊富にとれることを願ったものとも考えられる。
○縄文時代のディルド?
石棒(橿原考古学研究所付属博物館)
だが、この石棒の用途について、また違った説をとる学者もいる。
「遠くまで狩りに出た男達の留守中に、彼らの妻達が淋しくないよう自らを慰める男根の代わり(つまり、今でいうディルド)として使用していたものも中にはある(※小型でツルツルに磨き上げられたもの)」というのだ。
のっぴきならない出生率の問題から考えるとそんな悠長なことしていられないだろうし、俄かには信じられない説ではあるが、完全に否定する証拠もない以上、可能性はゼロとはいえない。
もしかしたら快楽のためではなく、宗教的な儀式としてそんな疑似行為を行っていたということはありえるかもしれない。
処女性の問題とも関係するのだが、処女と初めて交わる際、破瓜(処女膜が破れること)の血で男根が汚れることを忌むような考え方がもしもあったのならば、それを避けるために処女はこの石棒の挿入によって儀礼的な初体験を行った可能性もありえるのである。
(※現に、海外の例になるがドイツ・ウルム市近郊のホーレ・フェルス洞窟遺跡からは、処女膜を破る等の儀式に使われたと思しき、28000万年前の実物大ペニス型石器が見つかっている)
ドイツ 2800万年前の男根型石製品(ホーレ・フェルス洞窟遺跡出土)
○昼間の青姦はむしろ当たり前?
縄文時代の居住空間を考えてみよう……。
竪穴住居の内部は昼間でも暗く、夜は焚火でもない限り、一寸先も見えない真っ暗闇である。
だが、ライターと市販の燃料で簡単に焚火ができる現代と違い、当時は火を起こすのも、その燃料となる薪を集めるのも相当の苦労がともなうものであった。
また、現在のように部屋が分かれているわけでもないので、家族がいれば一つの空間に皆一緒という状況だ。
となると、岩陰や茂みの中など、当然、野外で行為に及んでいたことが考えられるが、それも夜は真っ暗だし、獰猛な獣による危険もあるので、むしろ昼間に行われることの方が多かったのではないだろうか?
いずれにしろ、この時代の性愛は極めておおらかで、肯定的に捉えられていたものといえるだろう。
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縄文時代(約1万5000年前~約2300年前)
○想像の域を出ない…。
当然のことながら文字資料が残っていないため、この時代の性事情は発掘された遺物などから想像をしてみる以外に方法はない。
しかし、これより前の旧石器時代と違い、縄文に入るとずっと遺跡や出土遺物は増えるため、手掛りとなるようなものはある程度存在する。
○人類存亡をかけた子作り
しかしながら、平均寿命が約14~15歳、長命でも31歳ぐらい(※ただし60代の人骨も出土している)という短さであり、乳幼児の生存率も極度に低かった当時、〝子作り〟はまさに命を次代へ繋ぐために死活問題であったことだろう。
また、集団での狩りや漁、原始的農業(栗やドングリなどの半栽培)に必要な労働力を得るためにも重要であったことは想像に難くない。
ある研究者によれば、この平均寿命からして2年に1回のハイペースで出産していないと、縄文人は滅亡する極めて危機的な状況であったという。
ゆえに性行為に対するマイナスイメージなどまるでなく、むしろ奨励されるべき、最重要な行いとして捉えられていたものと思われる。
○神聖な性器
土偶(八戸市風張1遺跡出土)
また、子供を生み出す男性器や女性器は神聖なものとして認識されていたに違いない。
もしも、この時代に「性行為は猥褻で忌むべきものだ」などと言った日には、住んでいる村内で大炎上していたことであろう。
それは、全国各地の遺跡で出土している、子宝や安産を祈る祭祀の道具だったと思われる土偶や石棒などから見ても明らかだ。
○土偶
土偶は言わずと知れた縄文時代の人型土製品であるが、その多くが女性を象ったものであり、乳房や女性器、正中線(妊娠線)、妊娠で膨らんだ腹部を表現したものがほとんどで、生殖や出産との関わりは極めて強い。
○石棒
石棒(新潟県上越市籠峰遺跡出土)
石棒(東京都国立市緑川東遺跡出土)
他方、石棒の方は勃起した男性器を抽象化した石造品であり、出土した状態からして、どうやら祭壇に立てて祭りを行ったようであるが、それは後の世の「オンマラ様」や「金精様」のような男根の姿をした神を髣髴とさせ、やはり同様に多産を祈った呪物なのであろう。
あるいは〝多産〟からの連想で、狩りや漁の獲物、採集や半栽培の産物が豊富にとれることを願ったものとも考えられる。
○縄文時代のディルド?
石棒(橿原考古学研究所付属博物館)
だが、この石棒の用途について、また違った説をとる学者もいる。
「遠くまで狩りに出た男達の留守中に、彼らの妻達が淋しくないよう自らを慰める男根の代わり(つまり、今でいうディルド)として使用していたものも中にはある(※小型でツルツルに磨き上げられたもの)」というのだ。
のっぴきならない出生率の問題から考えるとそんな悠長なことしていられないだろうし、俄かには信じられない説ではあるが、完全に否定する証拠もない以上、可能性はゼロとはいえない。
もしかしたら快楽のためではなく、宗教的な儀式としてそんな疑似行為を行っていたということはありえるかもしれない。
処女性の問題とも関係するのだが、処女と初めて交わる際、破瓜(処女膜が破れること)の血で男根が汚れることを忌むような考え方がもしもあったのならば、それを避けるために処女はこの石棒の挿入によって儀礼的な初体験を行った可能性もありえるのである。
(※現に、海外の例になるがドイツ・ウルム市近郊のホーレ・フェルス洞窟遺跡からは、処女膜を破る等の儀式に使われたと思しき、28000万年前の実物大ペニス型石器が見つかっている)
ドイツ 2800万年前の男根型石製品(ホーレ・フェルス洞窟遺跡出土)
○昼間の青姦はむしろ当たり前?
縄文時代の居住空間を考えてみよう……。
竪穴住居の内部は昼間でも暗く、夜は焚火でもない限り、一寸先も見えない真っ暗闇である。
だが、ライターと市販の燃料で簡単に焚火ができる現代と違い、当時は火を起こすのも、その燃料となる薪を集めるのも相当の苦労がともなうものであった。
また、現在のように部屋が分かれているわけでもないので、家族がいれば一つの空間に皆一緒という状況だ。
となると、岩陰や茂みの中など、当然、野外で行為に及んでいたことが考えられるが、それも夜は真っ暗だし、獰猛な獣による危険もあるので、むしろ昼間に行われることの方が多かったのではないだろうか?
いずれにしろ、この時代の性愛は極めておおらかで、肯定的に捉えられていたものといえるだろう。
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2023-02-27 16:27 編集