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日本性愛史・平安時代・妻問婚から婿取婚へ

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2019/ 04/ 12
                 
日本性愛史・平安時代・妻問婚から婿取婚へ
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日本性愛史
平安時代(794年~1185年)
妻問婚から婿取婚へ
寝屋C

〇同居するのは〝婿取婚〟

 これまで述べてきた男が〝夜這い〟をして結婚に至る――〝妻問婚〟であるが、正確にいうと「気が向いた時に男が女のもとを訪れる」という〝夫婦別居〟の形態のみをこう呼び、本来は同居するものではない。

 発生からすると、この狭義(真正)の〝妻問婚〟が古く、飛鳥時代辺りからようやく妻方の家や新居を構えて同居する形が出てきたらしい。

 この妻方に同居する形態を〝婿取婚〟といい、平安時代にはこれが基本となっていた。

 完全に養子縁組のようになる場合もあるし、〝妻屋〟という新居を建てて住む場合もあったようである。

 そこで子供が生まれると、家屋敷などの財産は女子が継ぎ、嫡男は一族の長となるものの、それ以外の男子は財産を持たずに外へ出てしまうのである。

 前にも述べたが、こうした経済システムだったが故に、貴族の子弟達は結婚相手=財産を獲得するための恋愛や性愛を重要視したのであろう。

末摘花002C
  『源氏物語』・末摘花の屋敷。光源氏は朽ちた塀から覗いている。

〇結婚には逆に女性の稼ぎが重要

 また、そうした社会の仕組みだったがために、財産も後見人もいない貴族の姫、あるいは、財産があっても身分が低く、相手の男を充分に養うことのできない女性は惨めなものであった。

 現代でも稼ぎの少ない男性は結婚が難しくなるが、当時は逆に〝夫を養えない〟女性は結婚が困難だったのである。

 それでも、そうした姫君と結婚するものを〝例外婚〟と呼び、その場合、男が女性を引き取って自分の家(※正妻の家や新居、母親から相続した家など)に住まわせた。

 例えば、『源氏物語』において、光源氏は最初の正妻・葵上の家である左大臣の邸宅へは通い婚を続け、対して母を亡くし、祖母のもとで育てられていた若紫(※紫の上。後の正妻格。正式な二番目の正妻は女三宮)は亡き母・桐壺更衣から相続した二条邸に住まわせて同居している。

 だが、時には通うだけ通い、飽きたら捨てる悪い男もいたようである。

 では、我らがプレイボーイ・光源氏はというと、不細工な上に、皇族だが後ろ盾の父を亡くして困窮していた姫君・末摘花に対し、一度は忘れ去って離れるが、彼女の一途さに感動して邸宅に引き取っている。

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